一本の川がある。細い細い川がある。海に流れ込んでいる。川と海の違いは何か? たとえば「川の終わりは海だ、海の始まりは川だ」と回答することもできる。なぜって河川類はたいがい海に流れ込んで消えるから。終わるから。しかしこんな回答をあたしは良しとしない。それではあたしが良しとする回答は何か? 模範例をここに挙げる。たとえば「川は、目でつかまえられる。川のこちらの端とあちらの端が『視認できない』なんて大河をあたしは知らないから、そう言い切れる。でも、海は大きすぎて無理だ。だいたい水平線で切れてしまう。海の端を、あたしの目はつかまえられない」って、あたしならばそう答える。そこに線が引けるならば引いてみろ。水平線は、あんたが近づけばどんどん遠ざかる。そこに線が引けるならば引いてみろ。

一本の境界線がある。町と町の境いがある。じつは楢葉町と広野町の境界線はその一本の川に沿っているに等しい。あたしはここで海辺の話をしている。あたしはいま太平洋岸の話をしている。あたしの目の前に広がっているのは岩沢海水浴場で、二〇二二年に復旧工事が完了した。かつてサーファーに人気の海岸だった。いまもサーファーに人気の海岸だ。楢葉町の最南端、正確には南東端にある。なにしろ南側で広野町と接している。その隣町の、何と? あたしは回答する、「広野火力発電所だ」って。そして発電所の敷地の護岸に沿って一本の川がある。海(とは太平洋だ)に注いでいる川がある。いろいろと砂州があって、でも、あああ、砂州が崩れた。あたしはスラッシュを三つ挟む。

///

砂州の縁が崩れている。川の水の透明度が凄い。しかし砂が混じっている。そんな砂の存在感が凄い。北の方角に目を転じる。天神岬が見える。その向こうには? ある、何かある、突き出しているのは福島第二原子力発電所の排気装置だ。塔だ。そして後ろ側に目を転じる。火力発電所の煙突がある。塔だ。でも、もっと海岸そのものを見る。海水浴場に何がある? もちろんテトラポッドがあるのだ。そばに並んでみればわかるけれども、テトラポッド群は巨大だ。その巨大な四本足のコンクリート塊(の群れ)が岩沢海水浴場を護っている。狭隘に狭隘に、守護している。守護神テトラポッド。あるいはテトラポッド・ゴッド。その群れだからテトラポッド・ゴッズ? あたしは砂浜に裸足の足跡を発見して、ちょっと待てよ、いまは夏じゃないよ、いまは二〇二四年のお正月だよ、そう叫びたい気持ちに駆られる。この裸足の足跡を残したのは誰? やっぱりサーファーなんだろうか。火力発電所の敷地のほうに目をやる。トラックがその構内を走っている。そういえば火力発電所に至る道路にはゲートがあった。きっと立派なセキュリティがある。そして海水浴場では、一、花火禁止、二、スピーカー等を用いて音を流すことは禁止、三、「飲酒での遊泳はお控えください 楢葉町」ともあった。あたしは立派な看板だと思う。飲酒でのスイミングはウェルカムではないのだ、そのことをちゃんと忘れないでおきなさい。この海水浴場のお隣さんは広野火力発電所である。そのことを肝に銘じなさい。あたしはスラッシュを二つ挟む。

//

境界線の消失もある。以下、参考までに。福島第二原子力発電所は富岡町と楢葉町に跨がっているから、一本の境界線がない。福島第一原子力発電所は双葉町と大熊町に跨がっているから、やっぱり一本の境界線がないし、そんなふうな町と町の境いに沿って流れている川もない。細い細い川がない。一本の川がない。あたしはそういう事実を単にパワフルだなと思う。そしてパワフルな事物はパワフルにこの世界に亀裂を走らせる。そういうパワフルさは触って握れるような強靱さだなと思う。ところで小高町(旧小高町、現南相馬市小高区)と浪江町に跨がる原子力発電所も以前は計画されていた。たぶん東日本大震災がなかったら建っていた。だとしたら東日本大震災のメガでギガなパワフルさがその「未来のパワフル」をブチかましたわけだ。だったら現場に行かないと。あたしは現場に行った。あたしは現場をふらふら、ぶらぶら、あちらこちら、移動した。そして小高区で、ということは二〇〇五年までの小高町のその町域で、その丘に登った。その丘に登ったのはあたしだけではない。あたしの前に何千人も何万人も、もしかしたらもっと? 登っている。あたしはいま数千年単位の話をしている。あたしはここで縄文時代にまで遡る話をしている。それと同時に、あたしは二〇二四年のお正月の話をしている。すると、その丘の斜面には何が建っている? ある施設が、なんだか斜面に貼りついて。なんだか斜面から遠慮がちに生えているように建っている。その施設の名前は貝塚観察館だ。その丘は浦尻貝塚といって、その丘じたいが史跡公園だ。縄文の丘公園だ。さてスラッシュを四つ。

////

一人の人間の想像力がある。その想像力を信じてみる。縄文人をあたしたちの同胞だと思うか? たぶんイエスという回答が多い。あたしたちの祖先だと考えている、あたしも考えている、あたしもつまりイエスと答える。じゃあ、縄文人はこの丘の集落でその日常生活というのを営みながら、「自分たちは福島に暮らしてるんだなあ」と考えていたか? これはノーという回答がほぼ全員から返ると思う。あたしの答えもだんぜんノーだ。それでは、一人の人間のその想像力をさらにさらに信じてみる。あたしたちはあたしたちが死んだ後も人類がいるとか、人類のその文明が続いているだろうとか、たぶん普通は「そうなるだろうな」と考えている。つまりあたしたちの死後にも世界はある。縄文人はどうだったか? 縄文人ももちろん、自分たちの死後にも世界はあると思っていた、とあたしは思っている。その世界が縄文っぽい(ままである)と信じていたか? そこはわからない。イエスと答える人もいるだろうしノーと回答する人もいるだろうけど、あたしだったら「わからない」の一択だ。そして、この「わからない」にきっぱりと票を入れてしまうあたしは、縄文人の一部はその(自分たちの)死後に、この世界がいつか福島と呼ばれることもあるのかもなあ、と具体的には思わないまでも、ぜんぜん思わないというわけではなかった、というか、思わないことをぜんぜんしないということはなかったはずであったと思うことはできる、とわけのわからない表現をしてみる。つまり福島のことを夢見た縄文人はいた。さて、ここで教養のお時間。

縄文文化の遺跡は、どこに出て、どこから出ないか? 北海道、本州、四国、九州には出る、と誰もが考える……んじゃないか。北海道の礼文島にも出る、と誰かが発言するんじゃないか。そして九州であったならば、対馬島にも出る、奄美大島にも出る、それどころじゃない、沖縄県の久米島までだ、と調べはじめる人もいるだろうし、いいや東京都の、伊豆諸島にも出るぞ、八丈島まで縄文文化は広がっていたはずだ、との声も聞こえだすだろう。では、ふたたび、北海道のほうは? 宗谷海峡がその境界になっている。そこに(そこにも)縄文文化の一本の境界線がある。また、択捉海峡もそうだ。要するに北方領土のちょうど東、に境界線がある。宗谷海峡は北海道とサハリンの境いだから、いま現在の日本の境いと変わらない。縄文時代に、すでに、そういう国境線が、なぜか、あった。この事実には目を注いだほうがいい。すでに何千年も前から、それも「日本」が誕生する前から現在の日本国のその境界が引かれていた、ちゃんと引かれていたのだとしたら、縄文時代の人間たちが死後のその世界に福島を感じるとか、感じられるポテンシャルを秘めていたとか、考えないほうが馬鹿げている。それにしても、海……海に線を、引いてみたんだ? そこに線を引いてみたんだ? この剛腕っぷりをイメージすると、あたしは縄文人を圧倒的に尊敬する。そして、さらば教養のお時間。あたしが挟むのはスラッシュ五つ。

/////

南相馬市小高区の浦尻貝塚に戻る。その史跡公園、縄文の丘公園には「ふもと」と呼べるような箇所にテトラポッドが転がっている。これまた巨大なテトラポッド群だ。どうしてそんなところに? とあたしたちは問わなければならない。だって、海からは離れているから。太平洋からは距離があるから。「どうして?」に対する答えは簡単で、東日本大震災のあの津波が、テトラポッド群を内陸の、その小高い丘の足もとまでグワッと運んできた。押し流してきて、そこにとどめた。水は、この水というのは潮なのだけれども、かなりの期間、引かなかった。だからテトラポッド群にはフジツボがみっしり付いている。そこに付着したまま、内陸の丘の「ふもと」でもフジツボたちは生き延びつづけたのだ。そういう事実に目をやる。あたしたちはそういう事実に目を注いで、それから考える。スラッシュ一つ。

縄文の丘公園に立つ。方角をぜんぶ確認する。東にあるのは? 海、太平洋。押し寄せたテトラポッド・ゴッズもやっぱり東に。北にあるのは? 太陽光発電のパネル群。メガ・ソーラーだ。北西にあるのは? やっぱりメガ・ソーラーだ。メガ、メガ。西にあるのは? ただの斜面。その斜面は、縄文時代には? きっと、おんなじように斜面。弥生時代にもそうだった。古墳時代にだってそうだろう。この縄文の丘公園には古墳が複数ある。それからタカがいる。飛んだ。田んぼのほうを眺めると、あああ、キジがいる。一羽のキジだ。果樹があって、これはなんの柑橘なんだろう? 実が、何百と落ちている。縄文時代には、古墳はなかった。当然の話だけど。弥生時代にも、古墳はなかった。いまの福島は、ここにはなかったのだけれども、古墳のように、やっぱり存在する。メガ、メガ。

さて福島に引かれた境界線のお話。古代の浜通り(福島の太平洋岸の地方)は中央政権の最前線の拠点でした。その拠点で何を製作していたか? 鉄製品でした。たとえば武器でした。その武器で何をしていたか? 蝦夷をぶっ殺そうと考えていました。福島からはどんどんとどんどんと、製鉄関係の遺跡が発見、発掘されつづけています。飛鳥時代の製鉄炉、とかね。奈良時代の「たたら製鉄」跡、とかね。平安時代のもね、いっぱい。福島には一本の境界線がありました。スラッシュ。

一本の骨がある。南相馬市教育委員会の文化財整理室で、その骨を見せてもらう。それは出土した人の骨だ。縄文人の骨だ。たとえば貝塚にも埋葬された人骨がある、とあたしは知っている。それは「埋葬された」のだから貝塚はただの食後のゴミの堆積の場なのではない、とあたしは知っている。貝塚には縄文土器も集積しているし、たとえばイノシシの下顎の骨、そんなものが祀られたように存在する。オオカミの下顎の骨、そんなものもやっぱり祭祀の対象であるかのように在る。イノシシは、数千年前にもここにいて、いまもいる。オオカミは、数千年前にここにいて、いまはたぶん絶滅した。本州と四国と九州に棲息していたニホンオオカミは、日本国の「日本」を冠しているのに、たぶん百年前には絶滅した、人間に絶滅させられた、と二〇二四年のあたしは考えている。縄文人の人骨を、あたしは許可を得て、触らせてもらった。質問です、骨の中には何がありますか? 骨の中には、DNAが含まれています。微量のDNAがあって、ただし保存状態は悪い場合が多いです、とこれはあたしが事後に仕入れた知識だ。そしてあたしは考える。DNAがあるということは塩基配列がわかるということで、それぞれに音を当てることもできる。音を当てると、どうなるの? 鳴らせる。つまり縄文人の、その人の、DNAをメロディに換えられるし、あたしは聴ける。あたしたちは聴ける。

///

その丘はすばらしい丘だ。浦尻貝塚はすばらしい丘だ。縄文の丘公園はすばらしい丘だ。スラッシュ、スラッシュ。スラッシュ。

次に進む

© Hideo Furukawa

© Fukushima Association for the Arts
© Modernthings, Inc.
All right reserved.